東北の旅 -- 東日本大震災の被災地を訪ねて --
2011年8月
2011年8月
久しぶりの帰省と大震災で被災した友人のお見舞いを兼ねて東北地方へ行ってきました。震災から5か月が経とうというのに、街の中にはまだガレキがうずたかく山となって積まれ、被害の大きかった街はまるでゴーストタウンか爆撃された焼け野原のようでした。被災地域の範囲が広く、被害も甚大なため、復興は長期間にわたりそうです。天候はあまり良くなかったので気持ちも重く、手を合わせながらの撮影となりました。 |
南三陸町 |
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ニュースで良く出た「南三陸町の防災庁舎」。多くに方がなくなった場所のため、ビルの下には献花台がおいてありました。 |
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病院は最上階まで浸水した跡が見え、まだガレキも片付いていませんでした。 |
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浸水した学校がそのままとなり、校庭には撤去されたガレキがうずたかく積まれていました。 |
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街の中心部でもこのとおり。まだ何もありません。 |
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高台にある道路から見た被災地。道路を越えた津波は奥の方まで破壊したようです。 |
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破壊された水門とガレキの山。このあたりは、数年前にハゼ釣りに来たことがあるのですが、全く面影は残っていません。 |
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5階建てのマンションですが、5階まで浸水した跡が見えます。 |
手前の軽自動車と比べるとガレキの山の大きさが分かります。 |
津波によって赤く変色した杉の木。押し寄せた波の高さがわかります。 |
JRの線路跡とトンネル。周りの変色した杉の木を見ると、完全に水没したようでます。 |
気仙沼市 |
サメの博物館がある観光市場や土産物の並んでいた建物。中はガランドウで、すぐ前に船が流されてきていました。 |
南気仙沼駅へ続く道の途中。商業施設が並んでいた区画がゴーストタウンとなっていました。 |
車の残骸が結構残っていました。捜索後を示す張り紙が貼ってあります。 |
フェリー乗り場の前。まだ片付いてなく、人の姿もまばらでした。 |
フェリー乗り場の前にある商店街。有名な寿司店の建物は残っていましたが、人は誰もいませんでした。 |
陸前高田市 |
市内に入るとなにもない光景がずっと続きます。はるか山の麓まで見渡す限り何もなく、その山の木も塩水の浸水で色が変わっています。残されたのはガレキの山と空洞となった建物です。 |
何かのお店だったと思われる場所で休憩しました。駐車場に残されたのは建物の土台だけ。電柱が倒れ、目の前にガレキの山がそびえています。(下) |
何もなくなった駐車場に、野球のグローブが1つ取り残されていました。 |
遠く山の下の建物も被災した様子で、山まで水が押し寄せ、壊していったのが分かります。 |
大船渡市 |
被災した小学校は、校庭がガレキ置き場になっていました。 |
登米市 |
内陸部の登米市内でも被害を受けました。 |
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